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鎌倉宮 [神奈川]

【4月6日 金曜日】 午後2時00分

鶴岡八幡宮で雨宿りをしていたのですが、雨は一向に止む気配がなく時間だけを費やしてしまうので、次の鎌倉宮(鶴岡八幡宮から東に向かう)へ

バスを利用する距離でもないので、歩いて行くことに

学校や住宅街を抜けて「源頼朝墓」に到着(鶴岡八幡宮より徒歩約10分)

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源頼朝は1198年に北条政子の妹の供養の為に掛けた相模川(神奈川の中央を南北に流れる川)の橋供養帰りに落馬し、その後体調を崩して亡くなったと伝えられています。落馬したのは帰路で藤沢市辻堂付近や、相模川の橋からとも伝えられ、相模川を馬入(ばにゅう)川と呼ぶのは源頼朝が亡くなった日が相模川の橋供養からと伝えられています。

しかし当時の相模川は現在の川より2キロ近く東側を流れていて、鎌倉時代に掛けられた橋桁の一部が関東大震災で地上に顔を出し、現在では国の史跡に指定され当時の橋梁は地中(池)内で保存し、レプリカを地上に出しております(茅ヶ崎市小出川付近)

源頼朝墓は少し高台にあって、かなり寂しい場所にありました

この場よりまた歩み始め、鎌倉宮を前にして喫茶店(茜草庵)を見付けたので温かい珈琲で一服

写真を撮り忘れましたが老夫婦(と思われる)が経営され、奥には苔が生える小さな庭があり、とっても落ち着く喫茶店で、店内の客は私ひとりだけでしたので鎌倉のお話を聞かせていただきました

喫茶店より1分で鎌倉宮(源頼朝墓より徒歩10分程)

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やっと雨が止み陽が覗かせ出したころに鎌倉宮につきました

この鎌倉宮は後醍醐天皇と皇子の大塔宮護良親王と共に、平清盛以来から続いた武家中心の政治から天皇中心の政治に変えるべく当時の幕府を倒したにも関わらず、足利尊氏との対立によって殺されてしまいました。明治時代に入って武士から天皇へ政権を変えるために建ち上がったことをたたえ、明治天皇が護良親王を祀る神社として1869年(明治2年)に造られたそうです

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本堂の右側には村上社がある

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村上社とは後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王に仕えた村上義光が、奈良の吉野落城時に護良親王の鎧を着て敵に対し「我は大塔宮護良親王ぞ 汝ら腹を切るときの見本とせよ」と叫び、護良親王の身代わりとなって切腹し、護良親王はこのすきに南へ逃れた話が義士と称えられました

身代わりとなって切腹した村上義光にあやかって木像を撫でて病気や厄を身代わってもらうそうな、、、うーん。。。死後も身代わりになるとは当の本人も驚いているかもしれませんね

鎌倉宮から北東の瑞泉寺方面へ進む

すると大きな広場が現れ、ここは永福寺があったところだそうな

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永福寺とは源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼし、平泉で見た二階堂を参考に鎌倉に同様な寺社を建てたのがこの永福寺だそうです。他にも合わせて3つの寺院(鶴岡八幡宮、もう1つはこの永福寺と同じく廃寺となった長勝寿院だそうです)を頼朝が造ったそうです

現在、この永福寺跡は史跡公園として工事がはじめられておりました


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