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倭姫命巡幸 6 [倭姫命御巡幸]

【2016年7月30日(土)】  倭姫命巡幸 6

【10 伊久良河宮】 【11 中嶋宮】

前回の巡幸を辿る旅から1週間、、、完全に倭姫命さまをお慕いし始めてしまった私は再び旅へ

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2016年7月29日の金曜日、定時で勤務を終えて急いで帰宅。
慌ただしい準備を済ませ、目的地近くまで早く着き仮眠をしたかったので20時過ぎに自宅を出発!
コンビニで携行食料を購入し、カーナビに目的地を入力。それも今日の行程を全てに。
だがこの作業が時間を費やしてしまい、東名高速の秦野中井ICに入れたのは21時、順調に走っても4時間は掛かるが、急がない旅なので運転する気持ちは楽なもんです

前回、滋賀県米原市の【9 坂田宮】までだったので、今回は岐阜県の【10 伊久良河宮】へと向かいます

走り始めると休憩は2~3時間不要な私。
気付けば浜松SA付近を通過し、愛知県へと入ろうとする辺りでマクドナルドにでも寄るかなと頭に食べ物が浮かび、新東名から三ケ日を抜けて東名高速の美合PAへ

美合PA(下り線)には、はなまるうどん、吉野家、ローソンと都心の駅前にあるような店舗が出店しているんです。
深夜営業しているのはマクドナルドと吉野家だけですが、輸送ドライバーにとって穴場になっているんですよ。
フィレオフィッシュのセットを購入し、眠る場所と定めた東海北陸道の川島PAへ

01:30頃に東海北陸道の川島PAに到着。車内に寝床を作って仮眠するのですが、気温が高いためエンジンを停止出来ず、一晩掛けっ放しで朝を迎える。
PA内にあるファミマで朝食と珈琲で目を覚まし、6:30に再出発し岐阜各務原ICを降りる。目的地へは名神高速の大垣ICが近いのですが、IC手前で仮眠できるPAが無かったため、川島PAとしたんです。昼間は賑わうPAですが、夜は長距離トラックが多く駐車していました

07:00 【10 伊久良河宮】 [天神神社] (てんじんじんじゃ)

美濃国 伊久良河宮 (いくらかわのみや)

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岐阜各務原ICより国道21号線で長良川を越え、30分弱で穂積市居倉にある天神神社へ到着。

さて、本日は下の赤い線を辿り伊勢へと向かいたいのですが、どうなるやら 

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 今回はGoogle地形マップを使ってみましたが如何でしょうかねぇ。
 黄色い線は先週の7月23日に辿ったコース、赤い線は今日の予定コースとなりやす

天気予報は、午前中は雨のち曇りだけれど、午後は回復するとの事。期待したいなぁ

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坂田宮を後にした倭姫命御一行は関ヶ原を越し、美濃国のこの地へとお着きになられ、4年を過ごされる。
現在は「天神神社」となっているが、明治以前は「伊久良河宮・天神宮」と呼ばれていたそうです。
神社には似つかない黒塗りの門がありました

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参道を行くと拝殿、その奥に本殿

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本殿の横には摂社が祀られている

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二つの石は「御船代石 (みふなしろいし)」があります。
御船代石とは『神の宿る石』とされ、ここ伊久良河宮に天照大神を遷座された際、大神を乗せた輿をこの石の上に座され祀られたのではと推測される。
御船代石の奥にある社は天照大神を祀り、その左側は倭姫命を祀る社なんだそうです。
由緒書きにはこの御船代石周辺は御禁足地として神聖な場所だったみたいです

遷座させて4年後に伊久良河宮は水害に襲われ、倭姫命御一行は次の場所へと移動を始め、尾張国へと旅立ちました

天神神社 岐阜県瑞穂市居倉781  駐車場はありませんが、1~2台程停められるスペースあり

岐阜県瑞穂市より長良川、木曽川を渡って尾張一宮にある酒見神社を目指す

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07:50 【11 中嶋宮】 [酒見神社] (さかみじんじゃ)

尾張国 中嶋宮 (なかじまのみや) 

40分程で酒見神社に到着

酒見神社 愛知県一宮市今伊勢町本神戸宮山1476
御祭神 天照皇大御神、倭姫命、酒弥豆男神、酒弥豆女神

酒見神社の住所は、元伊勢として名を残されているみたいです

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倭姫命が巡幸した記録は古事記、日本書紀に記載されていると以前にも記しましたが、他では「倭姫命世記」や「皇大神宮儀式帳」でも伝えられている。この書物について少しご説明しておきましょう。
古事記と日本書紀、こちらは日本国で最も古い歴史書(書物としては聖徳太子の法華義疏)として認められていて、古事記は712年に完成し、日本書紀は8年後の720年に完成したと云われている。
似た内容もあれば違う内容もあり、どちらが正確かとなると誰もが「不明」と答ええてしまう。
書き始めは日本(倭)が生まれた辺りから神武天皇を経て、古事記は33代推古天皇、書記は41代持統天皇まで記載されている。
だが紀元前の日本の生い立ちや神武天皇を含め、10代崇神天皇、若しくは15代応神天皇以前は伝説的な書き手によるフィクション(キリスト教と同様な過去を時の権力者によって歴史を作ってしまう行為)と私は考えるが、勉強足らずによって違うのかもしれない。

皇大神宮儀式帳は804年に神宮(内宮)の禰宜によって完成させた伊勢神宮の成り立ちや、行事といった記載がありますが、本来の目的は天皇家との繋がりを含めた格式を重んじる書物だと云われています。
神仏分離以前の神社では格式があり、伊勢神宮を頂点とした格が存在していたのは知られています。昭和の大戦後は天皇家の強さを消すために格と云う位は現在存在していない。
但し、境内の石碑や書物では今でもその格がはっきり示され、私達も伊勢神宮や出雲大社、春日大社といった最高位の神社や、八幡宮と云った武家の格式、一宮や郷社、鎮守と色々な神社があるのはご存知と思われます。

最後に倭姫命世記ですが、こちらは768年に書かれたと記載があるのですが、正確には1280年頃に外宮神官によって完成したと思われ、大半は伝説と推察され歴史書とは認められていない。

どの歴史書や書物を信じるかは個々にて判断するとして、私達日本人の生い立ちや、天皇家との関わりについては誰も押しつけることは出来ないと考えますが、私は紀元前の歴史は言い伝えとして理解し、史実と伝説が入り乱れた所が私の興味の火としてこれからも消える事は無い

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どこの宮へ訪れてもほぼ誰とも顔を合わせないのですが、酒見神社の駐車場に駐車したらご婦人軍団から声を掛けられ、自動車のナンバーをチェックされたのか分かりませんが、質問攻めを受けてしまった・・・
「どこから来たの?」「湘南?」「加山雄三の湘南よ、そうでしょ?」「で、こちらなは何の御用?」。。。軍団は強い。
『倭姫さまの巡幸を辿り、、、』
どう見てもご理解されていないようなので
『天照さまを参拝しに来ました』と告げ納得されたのか、5分弱で解放。職務質問みたいで少し怖かったですわ

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軍団から解放されて参拝をと拝殿へ向かうとカラスが一羽。

もしかして伝説の八咫烏(ヤタガラス)じゃありませんよね?

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境内には色々と摂社があります

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 ↓ こちらは石槽(いわふね)

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こちらが倭姫命を祀る社

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そしてこちらは霊水「栄水の井」(さかみのいど)

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次回は伊勢神宮がある三重県へと向かいまーす


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コメント 2

kuwachan

今回はおひとり様だったのですか?^^
地図、全体的な行程がよくわかりますね。
by kuwachan (2016-10-20 21:17) 

わけん

kuwachanさん
倭姫巡幸の旅は「おひとり様」で廻っております。
老夫婦と一緒だとこんな幾つもの宮へは行けません。
地図は今回からGoogleも使用してみました~
by わけん (2016-10-24 22:56) 

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