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【岩手】 観自在王院跡 ・ 達谷窟 [東北]

【2012年7月14日】 午前7時35分

厳美渓が案外早く観終えたため、当初の順番を変え県道31号線で一旦、毛越寺方面へ

観自在王院跡(かんじざいおういんあと) 拝観・散策自由 駐車場無し

毛越寺の拝観時間は午前8時30分からであるのと、厳美渓の次に行く予定だった達谷窟は午前8時から、、、てことで、拝観時間が自由な「観自在王院跡」を先に観ることに

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藤原基衡(ふじわらのもとひら:奥州藤原氏の2代目)の妻が建立した寺院と伝えられ、奥州藤原氏が滅亡後は荒廃し、最近(昭和40年代後半)まで水田だったそうな

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昭和48年から発掘調査され、昭和51年に現在の「観自在王院跡」として公園になったんだそうですわ

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上の写真にある柱のような杭は、牛車を格納する車宿で約10台が止められる大きな建物だったみたい

庭園をぐるりと1週するとなると30分は掛かるかもしれませんが、私はピンポイントだけで撤収!

本来なら正面から写真を撮りたかったのですが、何かイベントが催されるらしく数棟のテントがあって撮れそうもなく、毛越寺側のからですけど数枚写真を撮って達谷窟へ向かう

達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわや びしゃもんどう) 午前7時55分

拝観時間8:00~17:00 拝観料300円 駐車場無料

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上の写真は拝観後に撮影しましたが、ここ達谷窟へは結局拝観時間前に着いてしまい、受付にはまだ誰もおらず近所のお爺さんが「帰りに支払えばいいさ」と勧められ、時間前に入らせていただきましたわ

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奥州藤原氏が繁栄する300年近く昔に、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ:全国の田村さんの御先祖さん)が蝦夷征伐(蝦夷と聞くと北海道をイメージしますが、当時は東北から北を蝦夷と呼んだそうです)で勝利し、この地に毘沙門堂を築き、京都の清水寺を模して寺院を建てたと伝えられている

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確かに京都の清水寺は坂上田村麻呂が征夷大将軍であった時代に作られましたが、清水寺を模して建てたってのは年表的には合わないような・・・

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その後この寺は奥州藤原氏の手に渡って再建され、葛西氏、伊達氏によって庇護されたそうな

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こちらは境内にある「姫待不動堂」、坂上田村麻呂がそもそも蝦夷を征伐する理由となった悪路王(あくろおう)が京都より何度も姫をさらっては達谷窟へ閉じ込め、何度か逃げようとした姫の髪を切り、近くの岩に掛けたとか・・・その姫を祀ったとされると伝えられているお堂です

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こちらはお寺なのですが、堂々と鳥居が残っていて神仏習合の時代が残っていました

岩屋の毘沙門堂は何度か焼失し、現在の毘沙門堂は昭和35年に再建されたそうで、往時の姿をそのまま再建されているんだそうです

他に金堂や岩に掘られた大仏もあって拝観所要時間は30分あれば余裕で観ることができますよ

この後は再度毛越寺へ戻るのですが、その途中で「鬘石(かつらいし)」がありまする

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この石は先程、姫待不動堂で書いた悪路王が姫の髪を切り、この岩に掛けたことから「鬘石」と呼ばれるようになったんですって~

今では石の上に大きな木が生え、よく石の上にこのような太い樹木が生えるもんだと感心してしまいます

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今にもゴロンと道路側へ転がってくるのでは?と感じちゃいます

何度もこの石を見てこの道を往復しましたが、毛越寺から達谷窟は車で片道10分も掛かりませんので、私と同じように早朝から平泉を巡るなら毛越寺や中尊寺よりも30分早く拝観出来る寺院となりますよ~


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